監督インタビュー INTERVIEW

「こういった現実がわれわれの地続きにある」という想像力を喚起したい
この『葛城事件』は、デビュー作となった『その夜の侍』(12)に続いて2本目の監督作になるわけですが、先行した舞台版とは少し肌合いの違うものになりましたね。
13年に上演した舞台は、ある事件をモチーフにしていて、無差別殺人へと走るモンスター的な次男を生みだしてしまった家族の悲哀を描くことが中心でした。今回映画化するにあたっては、もっと様々な事件を調べ、複合化しました。そもそも舞台版でもそうでしたが、特定の事件の異常さ、陰惨さを打ち出したいわけではなかったんです。なので映画では若葉(竜也)くんが演じた「稔」は、どんな家庭にも現れるであろう可能性を秘めたキャラクタ―に書き直そう、と。そこをまず前提にして描こうと思いました。
いままで2本とも原作はご自身の戯曲ですけれども、映画化を想定して書かれたりすることもあるのですか?
『その夜の侍』では全くそんなことはなかったのですが、『葛城事件』は舞台の台本を書くところから意識していたかもしれません。正直に申しあげますと、ちょっと中毒になるくらい映画を監督する作業が面白かったのです。不足だらけだった結果はさておきまして、心のどこかに「もう一度撮れるチャンスがあるのなら……」という気持ちはありましたね。幸い、前作のプロデューサーに声をかけていただいて、企画が成立しました。
葛城家の当主、「清」役には三浦友和さん。もう唯一無二のキャスティングだったそうで。
ええ。まずあの存在感です。威厳と憂い、そして愛情の深さも合わせ持っている佇まい。初めてお会いしたとき、部屋に入られた途端、「間違いない! 清役は絶対にこの人しかいない!!」と鳥肌が立ちました。それは未だ鮮烈に覚えています。約2時間、僕が作品や役柄についてほぼ一方的にお話をさせてもらったんですが、きっと三浦さん、不安が募ったかもしれませんね。でもとても真摯に耳を傾けていただき、しかも報道陣に清がもみくちゃにされる場面に対しては、「実際には記者はこう、カメラマンはこういうもんだよ」とアドバイスをくださった。瞬間的に「ああ、そうだよな、過去に報道被害をリアルに経験されている方なんだよなあ」と思いが至りました。結局そのシーンは、完成台本ではカットしてしまったのですが、一見、三浦さんとは無縁のような“葛城家”も、リアリティをもって見つめてくれていましたね。現場に入られてからも「白髪はこんな感じで、服はこう。ここではサングラスをかけていたほうがいいんじゃないか」と、いろいろご提案いただき、カメラを回すときには「そこに本当に清がいる」という感覚がしました。
他の葛城家のメンバーも、難役ばかりでしたが申し分なかったです。
理想として幸せな家庭を求め、それを清は意のままにコンプリートしようとしたんですね。南果歩さんにお願いした妻の「伸子」は意志が弱く、ちょっと思考停止していて何となく流されるままに生きている。たしかに難役で、とことん考えた結果、南さんならばきっと体現してくださるだろうと。長男の「保」役の新井浩文くんは舞台版では、殺人を犯す「稔」役だったんですね。もしかしたら映画でも引き続き稔役をやりたかったかもしれませんが、舞台版とはテイストを変えたかった。思うに、僕が知っている新井くんのパーソナリティはとても気を遣う人で、そこが好きなところでもあって、気を遣いすぎるがゆえに保というのはドツボにハマってゆくので、彼に演じてもらうことで、化学変化を期待しました。若葉くんはオーディションだったんですけど、各事務所から有望な方々に来ていただいて、時間をかけたそのオーディションの中でもダントツに良かったんです。最後の拘置所の長台詞のところを演じてもらったのですが、絶対にこの役を取ってやるぞという気概と、ものすごい緊張感と、いろんな要素があいまって、それが奇跡的にあの役にマッチして、もう満場一致でしたね。
では、撮影現場でカメラの前に立ったときも、若葉さんは監督の予想以上の演技を見せてくれた、と。
それはまた別でして(笑)。いや、若葉くんに限ったことではなく、役者にとって台本の一行一行を段取り芝居ではなく、いわゆる上手い演技でもなく、血肉となった言葉や動きにするのは至難の業だったりするんですよね。演出していた自分自身にも言い聞かせていたんですけど、「殺人犯を安易に演じることなどできない」と、現場で何度も話し合ったと思います。大仰な表現になりますが、若葉くんとはほとんどのシーンが“死闘”でしたね。「OKの声がかかるときには、全部記憶が飛んでいた」と後に本人が語ってました。
ということは、何が正解か分からぬまま、毎回OKの言葉を待って、ひたすら自分の記憶がなくなるまで演じて、それでOKが出てまたゼロに戻って……の連続ですか。
そうだと思います。申し訳ないのですが、脚本段階で考えぬいたつもりが、現場に入り、いざ生身の人間を相手にすると目線や声の出し方のひとつで、「稔は本当にこういう人間なのか」と常に自問自答することになり、確信が持てるまで、若葉くんにもひどく苦労をかけたはずです。
けれどもそれはきっと、誠実さの証左でしょう。
どうなんでしょうね。撮影が終わった今も、あれが正解だったのか判然としません。あくまで暫定的な答えを選んでいるのであって、逆切れのように発信するしかない(笑)。でも作品づくりとは、そういうものだと思います。
稔と獄中結婚する「星野」、田中麗奈さんの役どころも重要でした。
死刑制度廃止の団体に属している人間で、正義に向かって猪突猛進的な人物を描きかったのですが、それだけではなく、清とどこか背中合わせなニュアンスを出したかったんですね。星野は私生活で大きな孤独を抱えていて、その穴埋めをするために無自覚に死刑制度廃止活動にのめり込んでいる。清も自分自身の孤独や絶望、虚無感を穴埋めするために、家族にエネルギーを注いできた。どこか違う視点で葛城家と関わる人間を描きたいというのもあって、星野役を書きましたが、演じてくださった田中さん、実に素晴らしかったです。
ところで『その夜の侍』同様、『葛城事件』も“食をめぐる描写”が印象的だったのですが。
たとえば向田邦子さんは、僕の数倍も食の描写にこだわる方で、家族の食卓シーンで一品一品ちゃんと脚本に指定していた、という話を聞いたことがあるんですけど、やっぱり人間が表れますよね。外からは平和そうな家に見えて実はそうではなかったり、手作りであっても手が抜いてあったり、もしくは手をかけすぎて、荷が重くなっている場合もある。そういったディテールは演じ手にとっても大切で、舞台版のときからこだわっていたことです。
最後に。監督ご自身の家庭環境も気になってしまいました。
普通ですよ。びっくりするくらい普通。ただそれは、俯瞰で眺めた場合であって、家族を構成する個々人の主観にどう映っているのかは皆目分からない。一歩間違えば、何かが起きてしまっていたのかもしれないし。『その夜の侍』でもそうだったんですが、社会派の作品を世に問うたのではなく、「こういった現実がわれわれの地続きにある」という想像力を喚起したいだけなんです。できれば、映画を観終わったあともずーっと、悶々としてもらいたいですね。

(取材・構成:轟夕起夫)

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